ヤモリの眼

まずは、タイトルの話から始めましょう。”Gecko’s Eyes” というのは、「ヤモリの眼」という意味です。ちょっと変わったサイトにしたかったので、ちょっと変わった名前がいいなあと思ってつけた名前ですが…

Gecko’s eyes see colors in the dark.

“ヤモリの眼は闇の中に色を見る”

上の方に書いてあるなんだか思わせぶりなこのフレーズ、実はこれは比喩でもなんでもなく本当の話。ある種の夜行性のヤモリは暗い所でも色彩を見分ける能力を持っています。実は、これは驚くべきことです。人間を初めとする多くの生物では、色彩を見分ける能力と、暗い所でものの形を見分ける能力は両立できません。夜行性のヤモリはなぜかこの不思議な能力を持っているんです。

ヘルメットヤモリ (Helmeted Gecko). image:Public Domain (via Wikimedia Commons)

 

人間を含むほとんどの動物は2種類の視細胞を持っています。ひとつめは錐体細胞(すいたいさいぼう)、この細胞は色を見分けることができる代わりに感度が低く、暗い所ではほとんど働きません。もうひとつは桿体細胞(かんたいさいぼう)、逆にこちらは色を感じることができない代わりに感度が高く、暗い所で活躍します。人間は暗い所ではモノの形は分かっても、色を見分けることはできません。同じように、夜目が利く生き物はたいてい桿体細胞が発達していて、暗い所でも活動できる代わりに、色を見分けるのはあまり得意ではありません。

でも、夜行性のヤモリはその例外。なぜなんでしょうか?

実は、夜行性のヤモリは、他の生物が暗い所で使っている桿体細胞を持っていません。つまりヤモリは、本来明るいところでしか役に立たないはずの錐体細胞を暗い所で使っているんです。スウェーデンのランド大学、リナ・ロス博士(Lina S V Roth)率いるチームは、2004年の研究で、夜行性のヘルメットヤモリは桿体細胞を持っていない代わりに、錐体細胞が人間の350倍もの感度を持っていて、暗い所でも色を見分けることができることを実験で確認しました。どうやら、夜行性のヤモリは、驚くほど感度のいい錐体細胞を持っているようです。ヤモリすげえ!

…と、話はこれで終わりじゃありません。むしろここからが本題、最近の研究でヤモリの目はこの能力を最大限に発揮するために実に巧妙な構造を持っていることが分かってきました。それは瞳が光を集める仕組み、レンズの構造と関係しています。

暗いところでたくさん光を集めるためには、なるべく大きいレンズを使ってあげる必要があります。これは天体望遠鏡でも同じですね。実際、夜行性のヤモリは、昼行性のヤモリより大きな瞳を持っています。しかし、ただレンズを大きくするだけでは焦点距離 ― レンズと網膜の距離が長くなってしまい、網膜に像を結ばなくなってしまいます。これを防ぐには焦点距離の短いレンズ、つまり厚いレンズを使わなければなりません。でも、ここに問題が…

レンズが厚くなると、「色収差」とよばれる現象が起きて像がにじんでしまいます。これはごく普通のカメラや望遠鏡などでも起きる現象。安いレンズを使ったカメラだと、被写体のエッジの部分に色がずれたようなにじみが出ることがありますよね。あれが色収差です。

上:色収差なし、下:色収差あり image: Public Domain (via Wikimedia Commons)

これは、光の波長によって屈折率が違うために起きる現象です。プリズムを思い出してください。プリズムを通すと光が七色に別れて見えますが、あれと同じことが目の中のレンズにも起きてしまうんです。言い換えると、これは赤い色と青い色ではピントの合う距離が違う、ということです。レンズが薄ければ、この効果はほとんど出ません。しかし、レンズが厚くなるとこの効果が強くなって、像がにじんでしまうんです。

image:Public Domain (via Wikimedia Commons)

望遠鏡やカメラのレンズなどでは、レンズを複数組み合わせて色収差を補正しています。また、目の大きさに対してレンズがさほど厚くならない昼行性の生き物では色収差はほとんど問題になりません。例えば人間とか。

実は、人間の目にも色収差はあります。ただ、人間の瞳のレンズの色収差はごくわずかで、瞳の調節機構でカバーできてしまうため、普段ほとんど気づくことはありません。たとえば、人間の目には、同じ距離に置いた青いものと赤いものでは、青いものは遠く、赤いものは近くに見えます。これは人間の目が色収差を補正する時に微妙に焦点距離を変えているために起きる錯覚です。

夜行性のヤモリの場合、レンズが厚いために、瞳の調節機構ではこのずれを補正し切れません。では、彼らはどうやって色収差を補正しているんでしょうか?あるいは、かれらは、ぼやけた視界しか持っていないのでしょうか?

先の研究を行ったリナ・ロス博士(Lina S V Roth)による、新たな研究で実は夜行性のヤモリはとても巧妙な補正システムを持っていることが明らかになりました。どうやら彼らは1枚で複数の焦点距離をもつレンズを持っているようです。ヤモリの瞳を特殊な計測器にかけたところ、そのレンズは球面ではなく、場所によって焦点距離が違う非球面レンズになっていました。そう、言ってみれば遠近両用めがねと同じ。どうやら、これによってヤモリは厚いレンズを持っているにもかかわらず、広い波長の範囲で焦点を結ぶことができるようです。しかも、遠いところからすぐ近くまでピントが合わせられるというおまけ付き(遠近両用ですからね)。ヤモリすげえ!

なぜ彼らが、こんな特殊な能力を持つに至ったのか、詳しいことはよくわかっていませんが、おそらく進化の過程で、いったん昼間の生活に適応して桿体細胞を失ったあと、一部が夜行性になり残った錐体細胞で暗いところを見る能力を身に着けたのではないか、と考えられています。

ちなみに、このサイトに住み着いている緑のヤモリはヒルヤモリ(Day Gecko)。その名の通り昼間に活動するヤモリで夜目は利きません。いきなり看板に偽りありですねえ…

というわけで、Gecko’s Eyes 始まります。どうぞごひいきに。

References

Nocturnal colour vision in geckos. (PubMed Central)

The pupils and optical systems of gecko eyes (Journal of Vision)

‘Gecko vision’: Key to the multifocal contact lens of the future? (Physorg.com)

File:Helmetedgecko-4.jpg (Wikimedia Commons)

色収差 ( Wikipedia)

はじめに

2000年に「Garbage Collection」「Junkyard Review」という個人サイトを作って10年、気が付いたらサイエンスのことばかり書いていました。最初はただの日記のつもりだったんですが…。結局この10年で、僕はサイエンスファンを名乗るようになり、ただの趣味だったものがいつの間にか科学の本を作ったり(本職は自然科学書の編集者です)、科学に関する文章を書いたり(こちらは副業、某宇宙開発関連機関の子供向けサイトで解説記事を書いたりしています)して生活するようになっていました。びっくり。

いつまでもびっくりしているわけにもいかないので、とりあえず始めてみることにしました。これまでサイエンスニュースを追いかけたり、サイエンスの片隅で仕事をしたりする中で考えてきたことをふまえて、ネットというメディアで何ができるのか、もう一度試してみようというわけです。それが今回あらためて「サイエンス」を看板に掲げたこのブログを立ち上げた理由。

僕がずっと考えていたのは、こんなことです。

サイエンスライティングについて

英語にはサイエンスライティング(Science Writing)という言葉があります。そのまま「科学について書かれたもの」という意味。科学論文以外、新聞や雑誌の記事、ニュース、科学書などの科学に関する文章のこと。広い意味では大学のニュースリリースや博物館などの解説文も含みます。欧米には、”Best Science Writing 2010″なんていうアンソロジーがあったり、優れた作品に毎年賞が贈られたりしていて、かなり一般的な用語です。でも、残念ながら、日本にはこの単語はありません。「科学読み物」が一番近いでしょうか?あるいは「科学解説」とか「科学エッセイ」とか…。あえて言えばこの3つを全て含む言葉なんですが、ぴったりくるものはなかなかありません。

英語圏の新聞や独立系のニュースサイトを見ると、日々すばらしいサイエンスライティングが掲載されています。ただ科学ニュースを紹介するだけでなく、そのニュースを理解するのに必要な周辺情報を押さえ、研究の経緯を紹介し、当事者にインタビューをし、波及する分野に言及し、時にはライターの個人的な意見が掲載されることもあります。何よりそれぞれが「読み物」としてとても完成度が高い。そのトピックを読者に伝えるのに最適な構成、表現、語り口が注意深く選ばれ、読者を楽しませようという意識にあふれています。なんともうらやましい。

でも、我々が普段目にする新聞や雑誌の片隅の科学ニュースは、ただその表面に軽く触れるだけで、その奥にある物語をなかなか教えてくれません。紙面や時間の制限から内容を必要最小限に抑えざるを得ないのは仕方のないことですが、もったいないなあと思うこともしばしば。もう一歩踏み込むだけでとても豊かな世界が広がっているのに、話がその手前で止まってしまう。あああ、そこからが面白いところなのに!

サイエンスの世界は、様々な事象が複雑に絡み合う網の目のような構造をしています。一つの研究は過去の数え切れないほどの発見や研究を下敷きにしていて、沢山の人や技術がそれに関わっています。またその一つの研究結果がさまざまな事象と関連し、さらに他の数多の研究に波及していきます。確かにこれはサイエンスの取っ付きにくさの一因なのかもしれません。でも、サイエンスの面白さは、むしろこの網の目の中にあるんです。

サイエンスの楽しさについて

「理科離れ」や「科学教育」、「サイエンスコミュニケーション」についての会合に顔を出すと、いつもそこで議論されているのは「科学者をどう育てるか」「子供たちをどうやって科学好きにするか」という話です。曰く「国民の科学リテラシーの向上を図るべきだ」、曰く「科学者はもっと情報発信をするべきだ」、曰く「新聞記者は科学的な基礎知識を身につけるべきだ」… もちろん、こういった活動の重要性は重々承知しています(自分もその一端にいるわけですから)。でも一方で、サイエンスの楽しさを伝えるってそんな大げさなことなのかな、とも思うのです。

「サイエンスの楽しさ」には2種類あります。一つは、未知のものと出会い、それを解き明かす楽しさ、探求の喜びです。要するにこれは科学者がやっていること、サイエンスの営みそのものです。もう一つは、そうした「サイエンスの営み」それ自身を楽しむこと。科学者の物語に心を躍らせ、サイエンスの成果に触れて世界観をひっくり返される喜び。これはサイエンスを外から眺めるファンの視点。前者の楽しさを味わうのはなかなか大変です。真面目にやろうと思ったらそれこそたくさん勉強しなくちゃいけません。でも、後者を楽しむのはたぶんそんなに難しいことじゃありません。

サイエンスの世界には、とびきり面白い人たちが沢山いて、面白いエピソードがごろごろしていて、しかもきらきらした未来まであります。もちろん、人のやることですからどろどろした部分もあるでしょう。でも、それを含めてとても魅力的な世界です。サイエンスは外から見ているだけでも充分に楽しいんです。

たぶん、サイエンスの魅力は、その成果が社会に還元されて社会が便利で豊かになることだけではなく、むしろ科学者や技術者たちが目をきらきらさせながら見せてくれるもののほうにあります。毎日のように出てくるニュースリリースや論文の影には、世界の秘密に魅せられ、寝食を忘れてわくわくした人たちがいます。科学者や技術者になるのは大変ですが、彼らのわくわくを分けてもらうのはそんなに難しいことじゃありません。必要なのは想像力と好奇心、そしてほんの少しの知識。そう、知識なんてほんのちょっぴりでいいんです。

彼らが私たちに見せてくれるのは、この世界のありよう。目に見えないものや手の届かないもの、これまで知り得なかったもののこと。ずっと未来のことや、大昔のこと。すごく小さなものや、すごく大きなもののこと。そう、サイエンスは何よりもまず、世界を楽しむための方法なんです。

サイエンスファンとして

編集者やライターである前に、僕はサイエンスのファンです。日々、サイエンスのニュースを追いかけるのが楽しくて仕方がありません。こういうことを書くと怒られるかもしれませんが、個人的には理科離れをどうにかしようとか、状況を打破しなくちゃなんて思いはそんなにないんです(そもそも自分にそんなことができるとは思えませんしね)。ただ、それを抜きにしても「もったいない」と思うんです。こんなに楽しいのに、こんなに美しいのに、なんてもったいない!

そして、できるならば目の前にいるあなたにもファンになって欲しい。同じくサイエンスファンであるあなたには一緒になって楽しんで欲しい。ただ、それだけのことです。いつの間にかサイエンスの片隅で仕事をするようになった一人のサイエンスファンとして、その立ち位置だけは忘れたくないな、と思うのです。

このあいだ、知り合いに誘われてJリーグの試合を見に行きました。実はプロサッカーの試合を生で見るのは初めて、選手の名前はおろか、ルールもよくわかっていません。それでも、僕は充分すぎるほどに楽しみました。それは連れて行ってくださった方々が、折に触れ「あの選手はね…」とか「今からサポーターが面白いことをするよ」と囁いてくれたからです。もちろん彼らはサッカー選手ではありません。でもサッカーの楽しみ方をとてもよく知っていました。初めてスタジアムでサッカーを見て、僕はサッカー選手になりたいとも、そのチームのサポーターになろうとも思いませんでしたが、サッカーが少しだけ好きになりました。少なくとも、もう一度スタジアムに来たいと思うぐらいには。

僕がここでやってみたいのは、たぶん、そういうことです。