はじめに

2000年に「Garbage Collection」「Junkyard Review」という個人サイトを作って10年、気が付いたらサイエンスのことばかり書いていました。最初はただの日記のつもりだったんですが…。結局この10年で、僕はサイエンスファンを名乗るようになり、ただの趣味だったものがいつの間にか科学の本を作ったり(本職は自然科学書の編集者です)、科学に関する文章を書いたり(こちらは副業、某宇宙開発関連機関の子供向けサイトで解説記事を書いたりしています)して生活するようになっていました。びっくり。

いつまでもびっくりしているわけにもいかないので、とりあえず始めてみることにしました。これまでサイエンスニュースを追いかけたり、サイエンスの片隅で仕事をしたりする中で考えてきたことをふまえて、ネットというメディアで何ができるのか、もう一度試してみようというわけです。それが今回あらためて「サイエンス」を看板に掲げたこのブログを立ち上げた理由。

僕がずっと考えていたのは、こんなことです。

サイエンスライティングについて

英語にはサイエンスライティング(Science Writing)という言葉があります。そのまま「科学について書かれたもの」という意味。科学論文以外、新聞や雑誌の記事、ニュース、科学書などの科学に関する文章のこと。広い意味では大学のニュースリリースや博物館などの解説文も含みます。欧米には、”Best Science Writing 2010″なんていうアンソロジーがあったり、優れた作品に毎年賞が贈られたりしていて、かなり一般的な用語です。でも、残念ながら、日本にはこの単語はありません。「科学読み物」が一番近いでしょうか?あるいは「科学解説」とか「科学エッセイ」とか…。あえて言えばこの3つを全て含む言葉なんですが、ぴったりくるものはなかなかありません。

英語圏の新聞や独立系のニュースサイトを見ると、日々すばらしいサイエンスライティングが掲載されています。ただ科学ニュースを紹介するだけでなく、そのニュースを理解するのに必要な周辺情報を押さえ、研究の経緯を紹介し、当事者にインタビューをし、波及する分野に言及し、時にはライターの個人的な意見が掲載されることもあります。何よりそれぞれが「読み物」としてとても完成度が高い。そのトピックを読者に伝えるのに最適な構成、表現、語り口が注意深く選ばれ、読者を楽しませようという意識にあふれています。なんともうらやましい。

でも、我々が普段目にする新聞や雑誌の片隅の科学ニュースは、ただその表面に軽く触れるだけで、その奥にある物語をなかなか教えてくれません。紙面や時間の制限から内容を必要最小限に抑えざるを得ないのは仕方のないことですが、もったいないなあと思うこともしばしば。もう一歩踏み込むだけでとても豊かな世界が広がっているのに、話がその手前で止まってしまう。あああ、そこからが面白いところなのに!

サイエンスの世界は、様々な事象が複雑に絡み合う網の目のような構造をしています。一つの研究は過去の数え切れないほどの発見や研究を下敷きにしていて、沢山の人や技術がそれに関わっています。またその一つの研究結果がさまざまな事象と関連し、さらに他の数多の研究に波及していきます。確かにこれはサイエンスの取っ付きにくさの一因なのかもしれません。でも、サイエンスの面白さは、むしろこの網の目の中にあるんです。

サイエンスの楽しさについて

「理科離れ」や「科学教育」、「サイエンスコミュニケーション」についての会合に顔を出すと、いつもそこで議論されているのは「科学者をどう育てるか」「子供たちをどうやって科学好きにするか」という話です。曰く「国民の科学リテラシーの向上を図るべきだ」、曰く「科学者はもっと情報発信をするべきだ」、曰く「新聞記者は科学的な基礎知識を身につけるべきだ」… もちろん、こういった活動の重要性は重々承知しています(自分もその一端にいるわけですから)。でも一方で、サイエンスの楽しさを伝えるってそんな大げさなことなのかな、とも思うのです。

「サイエンスの楽しさ」には2種類あります。一つは、未知のものと出会い、それを解き明かす楽しさ、探求の喜びです。要するにこれは科学者がやっていること、サイエンスの営みそのものです。もう一つは、そうした「サイエンスの営み」それ自身を楽しむこと。科学者の物語に心を躍らせ、サイエンスの成果に触れて世界観をひっくり返される喜び。これはサイエンスを外から眺めるファンの視点。前者の楽しさを味わうのはなかなか大変です。真面目にやろうと思ったらそれこそたくさん勉強しなくちゃいけません。でも、後者を楽しむのはたぶんそんなに難しいことじゃありません。

サイエンスの世界には、とびきり面白い人たちが沢山いて、面白いエピソードがごろごろしていて、しかもきらきらした未来まであります。もちろん、人のやることですからどろどろした部分もあるでしょう。でも、それを含めてとても魅力的な世界です。サイエンスは外から見ているだけでも充分に楽しいんです。

たぶん、サイエンスの魅力は、その成果が社会に還元されて社会が便利で豊かになることだけではなく、むしろ科学者や技術者たちが目をきらきらさせながら見せてくれるもののほうにあります。毎日のように出てくるニュースリリースや論文の影には、世界の秘密に魅せられ、寝食を忘れてわくわくした人たちがいます。科学者や技術者になるのは大変ですが、彼らのわくわくを分けてもらうのはそんなに難しいことじゃありません。必要なのは想像力と好奇心、そしてほんの少しの知識。そう、知識なんてほんのちょっぴりでいいんです。

彼らが私たちに見せてくれるのは、この世界のありよう。目に見えないものや手の届かないもの、これまで知り得なかったもののこと。ずっと未来のことや、大昔のこと。すごく小さなものや、すごく大きなもののこと。そう、サイエンスは何よりもまず、世界を楽しむための方法なんです。

サイエンスファンとして

編集者やライターである前に、僕はサイエンスのファンです。日々、サイエンスのニュースを追いかけるのが楽しくて仕方がありません。こういうことを書くと怒られるかもしれませんが、個人的には理科離れをどうにかしようとか、状況を打破しなくちゃなんて思いはそんなにないんです(そもそも自分にそんなことができるとは思えませんしね)。ただ、それを抜きにしても「もったいない」と思うんです。こんなに楽しいのに、こんなに美しいのに、なんてもったいない!

そして、できるならば目の前にいるあなたにもファンになって欲しい。同じくサイエンスファンであるあなたには一緒になって楽しんで欲しい。ただ、それだけのことです。いつの間にかサイエンスの片隅で仕事をするようになった一人のサイエンスファンとして、その立ち位置だけは忘れたくないな、と思うのです。

このあいだ、知り合いに誘われてJリーグの試合を見に行きました。実はプロサッカーの試合を生で見るのは初めて、選手の名前はおろか、ルールもよくわかっていません。それでも、僕は充分すぎるほどに楽しみました。それは連れて行ってくださった方々が、折に触れ「あの選手はね…」とか「今からサポーターが面白いことをするよ」と囁いてくれたからです。もちろん彼らはサッカー選手ではありません。でもサッカーの楽しみ方をとてもよく知っていました。初めてスタジアムでサッカーを見て、僕はサッカー選手になりたいとも、そのチームのサポーターになろうとも思いませんでしたが、サッカーが少しだけ好きになりました。少なくとも、もう一度スタジアムに来たいと思うぐらいには。

僕がここでやってみたいのは、たぶん、そういうことです。

2 Responses to “はじめに”

  1. @tenshan

    Twitterにて知りました。ヤモリの目の記事たいへ解りやすいです。ヤモリ自体には興味がなくても、目の機構をサイエンスの視点で語ることで、こんなにも魅力あるテーマになることに、感動を覚えました。目とレンズの原理は同じだということも、分かってはいても、改めてそうなんだと納得させてくれる話しのつながりも。

    私も科学読み物系は好きでよく読みます。確かに欧米系の専門ライターが書いたものは、ほとんど目の前で展開しているドラマのように、わくわくさせて読ませてくれることに驚きます。

    日本でもこういうカルチャーが自然に根付けば、文科省や政治のネタにならなくてもいいのにと思います。柏井さんの思いに全面的に賛同するものです。

    こういう記事は、日常ブログのように手軽に書けるものではないでしょうから、ぜひコツコツ続けていただいて、サイエンス・ブログのカルチャーをぜひ育ててください。応援いたします。

  2. KASHIWAI, Isana

    ご返事遅れました。温かいお言葉、ありがとうございます!
    まだ手探りですが、少しづつ充実させていければと思っています。
    どうぞ気長におつきあいください。今後ともよろしくお願いします。

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